女房と子供が日本にいる間、電車の中で隣り合った母子との会話がはずみ、 「どこから来たんですか」「アメリカです。」「いいわねえ、小さいときから英語がしゃべれるようになって。」 「はい、僕英語はペラペラなんです。」
という会話をしたそうな。 最後の一言で、なんだこいつ、と日本人なら思うだろう。 女房もあきれたようで、「なんであんなことを言うのだろ。」と 思ったそうだが、 本人はごくまじめに言っている。 自分は米国人のこの手の発言に慣れてしまっているので指摘されないと違和感もわかないのだが、そういえば以前も似たようなことがあった。
10年ほど前、とある日系の家族に招待され、食事も終わって、歓談していたときの話、 日本から移住した親たちは差別を恐れて子供たちに日本語を教えなかった。 周りは白人だらけの社会。 戦後すぐ移住した両親はそれなりに苦労していたみたいだったので、美保純に似た美人で、当時はもう結婚してしまっていた娘さんに(当然英語で)
「学校で差別されることはなかったの?」 と聞いたときのことだ。
「私は学校ではすごくもてたから、そういうことは感じなかったわ。」
と言ったのを思い出したのだ。 日本からやってきて年月の浅い女房は「おりょ」と思ったらしいのだが、 別に当人は自慢しているわけではなく、 事実を淡々と述べているに過ぎない。 てなことを後で説明しなければならなかったのだが、今回もそれと同じだ。
「だから、あのときのSさんの”I was a very popular girl”というのと同じ感覚で言ったんだと思うよ。」 と言ったら得心した模様。
「でも、やっぱりそういうときには遠慮して「まあ少しは」とか言うんだよ。」 と子供に言っても
「どうして、本当のことを言ってはいけないのか?」 と聞くのである。 日本人の謙遜という美意識は説明するのが難しい。
仕事の世界では、こういう感覚は害にこそなれ利益にはならないようだ。 昔、自分の部署の仕事の説明を15秒で済ませたら、他部署のチーフがわざわざ、「こいつの言い分を聞くと大したことはやってないように聞こえるが、出ている成果としては凄くて、云々」と援護射撃を5分ほどされたことがある。 なるほどこれくらい喋らないと自分の部署に対する評価も上がらないわけで、チームのメンバーに申し訳ないことをしたのかなあと反省した記憶がある。
こういう国だから自分を売り込むための履歴書は事実を10倍くらいに見せかけて書く。 読むほうもその辺は差っぴいて読むしかない。
「F16戦闘機の設計にかかわりました。」と書いてあっても良く聞いてみれば「F16の牽引装置に使うネジの図面を他人の設計をコピーしながら描きました。」なんてことは日常茶飯事。油断もすきもありゃしない。