実験

学校で電気回路の実験を始めたらしい。 豆電球と電線と乾電池をグループに与えて、「これで豆電球を点灯させるにはどうしたらよいか、回路を三通り考えよ、また、点灯しない回路の例も三通りあげよ。」 というようなことをやった由。

女の子2名、男の子2名のグループで、息子が頭脳になった。(と本人は言っている) 「僕たちのグループが一番早く点いたんだよ。」 と得意げである。

「Circuit(回路)というからCircleかなあと思ったんだよ。」 うん、いい読みしてる。

「それでね、Kには電球をもってもらって、Dには乾電池をもってもらって、僕とAは電線を持って皆で輪になったの。」 そしたらぱあーっと点灯したそうな。

その後が悪い。

「皆でワーイと喜んだら、電球がどっかにとんでっちゃったんだよ。」

女房と一緒にげらげらっとわらってから

「なんでお前はそのようにマンガになってしまうわけ?」

「だって、パパとママの子だよ、当たり前ジャン」

うーんたしかになあ。

 僕、英語ペラペラなんです。

女房と子供が日本にいる間、電車の中で隣り合った母子との会話がはずみ、 「どこから来たんですか」「アメリカです。」「いいわねえ、小さいときから英語がしゃべれるようになって。」 「はい、僕英語はペラペラなんです。」

という会話をしたそうな。 最後の一言で、なんだこいつ、と日本人なら思うだろう。 女房もあきれたようで、「なんであんなことを言うのだろ。」と 思ったそうだが、 本人はごくまじめに言っている。  自分は米国人のこの手の発言に慣れてしまっているので指摘されないと違和感もわかないのだが、そういえば以前も似たようなことがあった。

10年ほど前、とある日系の家族に招待され、食事も終わって、歓談していたときの話、 日本から移住した親たちは差別を恐れて子供たちに日本語を教えなかった。 周りは白人だらけの社会。 戦後すぐ移住した両親はそれなりに苦労していたみたいだったので、美保純に似た美人で、当時はもう結婚してしまっていた娘さんに(当然英語で)

「学校で差別されることはなかったの?」 と聞いたときのことだ。

「私は学校ではすごくもてたから、そういうことは感じなかったわ。」 

と言ったのを思い出したのだ。 日本からやってきて年月の浅い女房は「おりょ」と思ったらしいのだが、 別に当人は自慢しているわけではなく、 事実を淡々と述べているに過ぎない。  てなことを後で説明しなければならなかったのだが、今回もそれと同じだ。

「だから、あのときのSさんの”I was a very popular girl”というのと同じ感覚で言ったんだと思うよ。」 と言ったら得心した模様。

「でも、やっぱりそういうときには遠慮して「まあ少しは」とか言うんだよ。」 と子供に言っても

「どうして、本当のことを言ってはいけないのか?」 と聞くのである。 日本人の謙遜という美意識は説明するのが難しい。

仕事の世界では、こういう感覚は害にこそなれ利益にはならないようだ。 昔、自分の部署の仕事の説明を15秒で済ませたら、他部署のチーフがわざわざ、「こいつの言い分を聞くと大したことはやってないように聞こえるが、出ている成果としては凄くて、云々」と援護射撃を5分ほどされたことがある。 なるほどこれくらい喋らないと自分の部署に対する評価も上がらないわけで、チームのメンバーに申し訳ないことをしたのかなあと反省した記憶がある。

こういう国だから自分を売り込むための履歴書は事実を10倍くらいに見せかけて書く。 読むほうもその辺は差っぴいて読むしかない。

「F16戦闘機の設計にかかわりました。」と書いてあっても良く聞いてみれば「F16の牽引装置に使うネジの図面を他人の設計をコピーしながら描きました。」なんてことは日常茶飯事。油断もすきもありゃしない。

 Over the hedge

ハワイからそのまま日本に行ってしまった女房と子供が、やっと帰ってきた。 これでPDAと将棋三昧の日々も終わるわけだ。 (というわけでPalm関係のエントリーも減る、と思う)

日本では八ヶ岳を縦走して滑落しそうになるわ、ついでに山と渓谷社のカメラマンに写真を撮られるわ、広島の原爆記念館に行って迷子になるわ、と楽しい日々を送った様子の息子が父親に会って最初に言ったのがこれ。

「”Over the Hedge”って日本語でなんて言うか知ってる?」

(想像力のない父親)「垣根の向こう側とか?」

「違うんだよ、 はずかしくなっちゃうんだよ。 聞いたら笑うよ。」

「何だね。」

「森のリトルギャング」

「わははは。」「あははは」

ダイハードとか、キャプテン・カークとかニック・ノルテなんかが吹き替えをやっている映画にしちゃあ邦題が可愛らしすぎるよ。

 サーフィン初体験

いや、子供が体験したということで親は、ただみておりました。

ワイキキの浜辺を歩くと、否が応でもサーフィンをしている輩が目に留まる。 子供は沖にぷかぷか浮いているサーファーをじっとながめて興味津々、といった風情。  トレーニングのクラスがあったら受けさせてあげたいねえ、という話になった。

消防士のグループが開催しているレッスンがある、と教えてもらって早速インターネットで調べ電話をして話を聞いた。 12歳以下はプライベートレッスンになるという。 ワイキキから車で30分くらいのところの浜辺で練習し、2時間で立てるようになるという。 え、2時間で立てるようになるの?「地上でうつぶせ状態から5秒以内で立つ能力があれば、最初のレッスンで立てるようになります。」 

バイオリンキャンプが終わる日の翌日に予約を入れた。 さすがはハワイ、レッスンは英語が良いのか日本語が良いか、と聞かれた。 日焼け止めと水、着替えとタオルは自分でもってくるように、他の道具はすべて貸してくれるとの事。

朝、所定の時間に大型バンでホテルからピックアップされ、 ワイキキを離れH1を西へ30分。 キャンプ地にもなっている浜辺についた。 生徒は総勢10数名。グループレッスンでもインストラクター1名に生徒が3名という具合だ。 プライベートレッスンを受けるのは10歳の息子と11歳の男の子。グループレッスンは日本語を6名ほど。 英語が7~8人。 過去にサーフィンの経験があるもの約4名。

浜辺で45分の講習。

いわく

1. サーフィンで一番大変なのは立てることではなく、パドリングすること。90%の時間はこれをやっている。 そうかボードを漕いで沖にでなくちゃ始まるものも始まらないよなあ。<=その辺からわかっていないお父さん。

2.というわけで、ボードへのうつぶせ方と、基本的なパドリングの方法、波を乗り越えるときの姿勢などを講習。

3.たぶん海へ出たら100パーセント忘れるだろうけど一応、ということでうつぶせになった姿勢から立つまでの考え方を講習。

4.セーフティ、 他人のボードに轢かれそうになったときの逃げ方。(潜れ!)

5.波乗りできたからといって、砂浜に着地しないように (こける)

6.チャンネルと言って、潮が沖のほうに流れている場所があります。 砂浜にむかうのではなく、砂浜と平行に泳いでチャンネルから抜け出ること。 ハワイでも毎年10名くらい亡くなっています。

 息子の話によると、消防士といっても、インストラクターはほとんどレスキュー隊員のようで、こういう話は現実味がある。

講習の後はグループにわかれて、パドリングの練習と立つ練習を砂浜で5分ほどやったら、 

「さあ、そろそろ海にはいりますよー」って、 そんなもんでいいの? 

息子も「あーどきどきするなあ」と言いながら10フィートのボードをずるずるひっぱりながら海に入っていった。

沖までボードを漕いで行き、インストラクターに手伝ってもらって向きを変え、波を待ち、 インストラクターの合図で波にのるべく漕ぎ出し、 さあそろそろ立つかな?

後でそのときの心境を聞いたら ”Here I come, All or nothing” さあ来たぞ、いちかばちか”と思ったそうで。

あっさり立ってしまった。 そのまま手を水平にのばして、海岸から10メートルくらいのところまで乗ってきて、飛び降りた。 最初から成功。

こんなに簡単なんか?と思ったがそうでもないらしく、最初から立てているのは息子の他は経験者くらいだ。 だが、2-3回やったら、11歳の子も立てるようになり、そのうちティーンの女の子たちもみなたてるようになり、最後には家族連れのお父さんも中年のおばさんも皆一度は立っていた。 そのたてるようになる順番というのがほぼ年齢順になっている、 年の差とというのはおそろしいものだ。 それにかなり疲れるらしく、年配の方から時間を待たずに上がってくる。

息子のほうは、1時間たっぷり波のりを楽しんでいたが、最後のほうはさすがに疲れてきたのか、沖に漕ぎ出すのにインストラクターの足に自分のボードをひっかけてもらい、 当人はちゅこんとボードの上に座って冗談を言っているのだ。 父親のほうはもうちょっとまじめにやれよ、と思いながら海岸でE-500を構えながら写真を撮っていたが、150ミリ(35ミリフィルム換算で300ミリ) の望遠でも小さくしか写らない。 主催者側に専任のカメラマンがいて、大きな望遠レンズのDSLRでばちばち写真を撮っていたので、結局彼からCDを買うことにした。 うーんこういうことならビデオカメラを持ってくるんだった。

 You have a big mouth!

バイオリンの英才教育で名をはせた某メソッドの総本山は松本にあるらしいのだが、この教室はアメリカでも結構大きな流れになっていて、自分の息子も習い始めてもう5年になったのだ。 毎年、全米のあちこちで開催されるサマーキャンプにジプシーのように参加してきた。 大学の寮を宿泊施設として使ったりして、安あがりの休暇と思えば親子3人が車に荷物を積み込んで2日かけて目的地まで運転していくことにもそれほど抵抗はなかった。 (ティーンになれば一人で参加だが、年端がいかないと親がくっついていく) 今年は先生にそそのかされて、ハワイまで出かけてしまったのだ。 ハワイという土地柄のせいか、 本人にとっては非常に楽しいキャンプだったようだ。 場所によってはついてくる母親の目がみな三角になっていて大変な雰囲気になっているところもあるが、 息子はそういうところには2度と行くとは言わない。 あくまでも「友達をつくる」のが第一目標になっているわけで、今回も冗談を連発してクラスの雰囲気を盛り上げるのに一役かっていた。 

グループレッスンで息子のような道化がいると、それに対する周囲の反応は2つに分かれる。

1. いっしょにけたけた笑い始める子供たち

2. しらけた目で眺める子供たち。

今回は2日目にして「結構真剣に弾いてるね、いい音出てるし、将来が楽しみだね。」とうわさしていた1歳年下の白人の女の子がきつい目で見ていると思っていたら、息子が先生にジョークをかまして笑わせたところで、”You have a big mouth!” と一喝した。 そんなことで引き下がる息子ではなく、 ”Yes I do.”と大きく笑ってすましてしまった。 

そのあと、二人でひそひそ話していたが、クラスが終わるころには談笑していた。  うーん、そのテクニック、父親も習得したいぞ。

最終日に息子と、友達になった母子を車に乗せてホテルに帰ってきたら、地元のミュージシャンがロビーでギターやベースやウクレレを持ち出してハワイアンを演奏しているところだった。 子供たちをおいて女房と二人、2ブロック先のWaikiki Banyanという他のホテルの下にある駐車場まで車を置きにいき、 戻ってきたら不思議な光景が展開されていた。

ミュージシャン達の輪の中に、息子ともう一人がバイオリンを構えて並んで座り、ハワイアンを演奏している(しようとしている、といったほうが正確か)  その輪の中で、 一人ご婦人がフラダンスを踊っている。 

聞いたら息子たちのバイオリンケースを見たベースのおっさんが「Jam up しようぜ」と誘ってくれたからやってる、だと。

さすがに鈴木の子供たちである。 すくなくとも雑音にはなっていない。 (と思うのは親の贔屓目か)

それにしても驚いたのは、そのご婦人のフラダンスである。普段着で踊っていたのだが、 実に格調が高いのだ。フラダンスに品がある、という言い方ができるとは思わなかったが、ショーで見る踊りとは一味違うのである。 さぞ高名なお方なのではあるまいかと思ったが、 みなに話しかけられ、言葉を交わすことができなかった。 残念。

 ハワイで見た、へんなT-shirt

どうも日本語を書いたT-shirtがはやっているみたいだ。 一時アメリカのどこに行っても”一番”と書いたT-Shirtsを着て闊歩している人種がいたが、 そのながれか。 ただ書いてある言葉がまともじゃない。

馬鹿たれ

気違い

血系

最初の2枚は顔は日本人だが日本語は喋らない日系4世か5世あたりの若者が着ていた。

ねぇ君、意味がわかって着ているの?としゃしゃり出るのはおじんの余計なお世話というものか。

最後の血系となると意味不明。 何なんだ? 

レストランで給仕をしてくれたアジア系のウエイターが、日本語と英語を即座に切り替えながら喋っている息子をみて

「うらやましい。自分は4th Generationなんだけど英語しか喋れない。」 と言ったので、 「どこの国なの?」と聞いたら「ほとんど中国、ちょっぴりハワイの血も混じっている」と答えてくれた。

日系でも2世、あるいは3世の方たちは、当時の世相を反映して、親が意識的に日本語を教えなかった・家でも子供たちの前では喋らなかった人たちが多いと聞く。 その子供たち(4世以降)が、自分のアイデンティティに目覚める過程で日本に興味を持ち、日本語を勉強して喋れるようになり、日本語がまったくわからない親達の日本人との会話を手助けしている、などという光景も目にしたりする。

我が家は家庭では日本語で通し、土曜日は補修校に通わせて子供の日本語を維持しようと努力はしている。が、 いったん外に出るとすべて英語の世界になってしまうので、本人は英語の方が楽なようだ。

日本人の家庭でも兄弟げんか、姉妹げんかは英語になってしまい、両親のほうがけんかの原因と、その進行状況がよくわからず、「あんたたち、日本語でけんかしなさい!」と怒鳴る、などというのは良く聞く話だ。

ただ、だからといって、「うちの子供はバイリンガル」と喜ぶのも早計で、一番まずいパターンは、英語も日本語もきちんと理解できない・喋れない中途半端な言語能力が形成されてしまうこと。

英語のほうは、両親よりは発音が良いのは確実だが、ではそれより深いところでネイティブ並みに話しているか、理解はきちんとできているのか、という懸念は常に持っている。 「彼は大丈夫」と学校の先生には言われてきたが、  小学生5年となって、算数もただの計算ではなく、応用問題を解くようになってきたのだが、これの理解度がちょっと?の光景が最近英語でも日本語でも出るようになってきて、我と女房はマイルドなパニック状態になりつつある。 積極的にインボルブして手助けしないといけないと思うしタイミング的には今しかない。  当の本人はGoing my wayなのであるが。

 ベースボールリーグが始まった。

今週から子供たちのベースボールリーグが始まった。 夕方6時半開始。 会社を出るのがそれくらいになり、30分ほど遅れて見にいったら、息子がちょうどバッターボックスに立っているところだった。 

「打つかな?」 と思ってみていたら四球で出塁。 ツーアウトだったようで、後続が三振にうちとられてイニング終了。

どこの守りにつくのかと見ていたらトコトコとマウンド上へ。 「え、ピッチャーなの?」 「さっきまでショートだったんだけどね」と女房。 

ウオームアップを見ていたが「遅い球だなあ。 こりゃ軟投型か。打たせて取るタイプね。」

去年まではコーチピッチという、コーチがピッチャーをやる方式だったのだが、今年(10歳)からいよいよ本格的な野球になってきたのだ。 だからピッチャーというのは、初めての経験。 後で聞いたら心臓がバクバクしていたそうだ。

しかし、打たせてとるためには守備がしっかりしていないといけないのだが、、、、

10歳ともなると、身長の差などが出てくる。日本人のわが子はやはり小柄な部類に入る。 その子が所在なさげにポイと球をほうる。

最初のバッターは二塁にフライを打ち上げた。 これを二塁手が落として一塁セーフ

二人目はピッチャーゴロ。 息子がさばいて、二塁にそーっと投げてアウト、一塁セーフ。

三人目はジャスミートしてライトへのフライ。 外野手のいる場所に正確にとんだのにやっぱり取れない。 で、ランニングホームランになってしまった。

これで息子はコンチクショーと思ったようで。

急に球速が速くなった。 

後の二人を三振に討ち取った。

さらにその後2イニング投げ、 さらに三振を4つほど取り、他は全部ピッチャー前のゴロに討ち取り、自分で処理して そーっと一塁に投げことごとくアウトにし、無得点に抑えた。

一方相手方のピッチャーは本格派。 づーっと3人で終わるイニングが続いた。

試合イニングは7回まで、 敵軍最後の攻撃。 ピッチャー交代で、息子と仲良しのCがマウンドに立ち、息子は三塁へ。

わが子より頭ひとつ分背の高いCのウオームアップを見ていたら凄い速球だ。 これならシャットアウトできる、 と思ったら甘かった。 野球は次に何があるかわからない。 Cも初めて投げるということであがってしまったらしい。それよりもなによりも守備が穴だらけ。息子とCとその他、あわせて約四名で、フィールド全部を守っているようなものだ。 ポップフライでも出塁できるということで、 

ツーアウト満塁になった。 スコアは6対5. ヒットが一発でれば逆転の場面。で、カウントは2-3(ところでアメリカの場合はボールカウントを先にいうので、本当は3-2というのだ。 それとフルカウントというのはこちらでも使う立派な英語です。)

息子がCに声をかけてはげまし、投げた最後の球は見逃しのストライク。 試合終了。

とにかく勝ててよかったのだが、もっと守備の練習をしなけりゃだめだ。 わが子が結構できるというのは素直にうれしいもので、特に父親のほうは野球といえば子供のころ、それも7番センターしかやったことがなく、 その息子がどうしてこんなにできるのだろう。「私の血だ。」と女房が言った。 くやしいがそういうことにしておこう。

夕方キャッチボールをしていた息子が家に入ってきて 「小さな鳥が落ちている」 と言う。

出てみると、種類は不明ながら孵化したばかりの雛とおぼしきものが街路樹の下にうずくまっている。 

木の上には鳥の巣など見えないし、いったいどこから落ちてきたのだろう。 近所の猫がこっちを横目で見ながら通り過ぎていく。

「こりゃあ、小さすぎるな、もう助からないよ。」

「かわいそうだよ。」

「これが自然の摂理ってもんだ。」 と決め付け、自分はいったん家の中に戻った。

しばらくしたらまた言ってきた。「Animal Rescueに電話しようよ。 助けてくれるかもしれないよ。」

そうか、その手があったか。 だめもとで、近所のHumane Societyに電話を入れてみた。 すでに勤務時間は過ぎているから案の定留守番電話だ。 ところが、

「24時間のAnimal Emergencyにメッセージを残すには3番を押してください。」というメッセージが流れた。

そこで、状況を説明して切ったら、5分くらいで電話がかかってきた。 もう1件仕事があるが、その後うかがいます、という。 

結局”Animal Rescue”と横腹に大書したバンがやって来たのは9時半過ぎだったが、靴箱にティッシュをしいて保護していたひな鳥を、「保育器に入れて様子をみてみましょう。」 と引き取っていった。

息子も安堵した模様。  子供の一言がなかったら見捨てていたところだった。 子供の思いやりに学んだ。 少し気持ちがあったかくなった。

 水泳

去年子供に喘息の気がある、という健康診断の結果を受けて気管支系を丈夫にしようという目的で水泳に通わせ始めた。

2-3歳のころからYMCAのプログラムに入れていたので、まったくのかなづちである自分に比べれば十分に泳げるのだが、今回通わせているのはいわゆるスウィミングクラブで競泳選手の育成を第一のプライオリティに挙げているクラブだ。

 そこで、「競泳はやりません、体を鍛えるだけ」という実にわがままなスタンスで泳がせてもらっている。

 ジプシー集団というかなんというか、特定の場所を持たず、付近の学校のプールなどを借りて練習しているクラブなのだが、 そこは大学の町、ミシガン州アンアーバー。 恵まれた環境がそろっている。

 普通の中学以上にはほとんど室内プールの設備が整っているので、場所に不自由はしていない模様。 ただし予定がすぐ変更になり、その日のホットラインに電話しないと当日の練習場所が確定しないことが日常茶飯事だ。 

そんな中、最近はミシガン大学の競技用の施設で泳ぐ機会が多くなっている。 100メートルのプールと隣に深ーい飛び込み用プールのある本格的な施設で、本当にこの大学はお金があるなあ、と思い、また、そんな施設を部外者でも安価に利用できる社会の豊かさを感じてしまうのだ。

しかし良く見ていると、泳いでいる少年少女たちは白人かアジア系で、黒人が一人もいない。 このデモグラフィックの落差は何を意味しているのだろう。 よくよく考えてみると、リトルリーグでもインフィールドサッカーでもこの傾向は同じだ。 もしかしたらバスケットとかフットボールに流れているのかな。

アンアーバーのパイオニア高校には日本から留学しているSK君という水泳の選手がいる。 

彼の活躍でパイオニアは一気に水泳の成績がトップクラスに躍り出た。 父君の仕事の関係でこちらに来たのだが、本人は家族が日本に帰っても米国に残り、そのままこちらの大学に進学するらしい。 アスリーツの特待生という事で、やっぱり芸は身を助けるのだ。

サッカー、バイオリン、野球、水泳とそつなくこなしている子供はもしかしたら器用貧乏で大成するものが何もない?という事にもなりかねない。 バイオリンはバッハダブルができるまで、と言っていた当初の目的は達してしまったのだが、欲はでてくるもので、本人が嫌になったと言っても親の権限で高校卒業するまでは続けさせよう、と女房とは合意が取れているのだが、 さて水泳は。

一つのけじめはLife Guardのライセンスの取得というゴールがあるそうで、 そうするとやはり高校卒業までは続けなければならなくなる?

とにかく本人は全部やりたい、やりたくないのは勉強だけ、というスタンスなのだが、日本人の補習校は何とが小学生の分だけでも終了させれば、あとはこだわらないつもりではあるのだが、アジア系が米国社会で生き抜いていくためには学力が一つの鍵となるはずなので、勉強しなくても良いよ、とは

やっぱりいえない

 Daughter and Son day

4月27日は ”Take our daughters and sons to work” day だった。 詳細はこちら

自分も愚息を連れて職場に出かける。 

子供に職場で働く親を見てもらって 

1.勉学の必要性

2.働くことの尊さ

を知ってもらうという試みだと思っているのだが、

「パパ、メイルを見て友達と話をしているだけで給料をもらっているの?」 

と聞かれるようでは逆効果か?

机の後ろの白板に激励文を書いて去っていきました。

“Work hard and do your best dad! for money and the family’s survival!!

P.S. (Try to) come home soon!”